大谷がMLBで二刀流として頭角を現したかと思うと
いつの時代も必ず訪れる世代交代の波。
そして平成が終わり5月から新元号。
新しい時代、この男の時代が必ずやってくる。
塩崎硫太。37歳。私と同じ変わってるAB型。
生業は、塩ザキ商店 旨い酒斡旋委員長。
間違いない旨い酒がズラリと並んだ店内。
その店内には、日本酒などが楽しめるチョイ飲み
スペースがあり酒好きが夜な夜な集まってきます。
その隣にある広い倉庫。酒箱にコンパネのテーブル
で大人数での懇親会場として、西条YEGなどでも
度々お世話になっています。
その塩ザキ商店の倉庫で開催される大日本プロレス
(通称、酒屋プロレス)はすでに8回を数え、もはや
西条の風物詩となりつつあります。
車が突っ込んできたり、酒を飲みながら見れるとい
う、破茶滅茶さがウケて市外県外のプロレスファン
にとっては、すでに聖地と化しています。
塩ザキ硫太の手作りのウィットに富んだチラシが
毎回オモロい、毎年夏の土曜日に開催している、
夏の日の塩ザキ商店(塩ザキ夜市)。
このイベントには、POGO CURRY、西條そば甲など
西条YEGメンバーのあの名店が、彼の人柄に惹かれ
特別に出店しています。
そして当然のごとく、西条YEGメンバーも自然と
この場所に集まります(^◇^;)
今では、このように立派に成長していますが、彼と
初めて会ったのは、1999年。
私はYEG入会2年目27歳で、彼の父親がまだYEGに
在籍していて、「レコードを聴かせてやる」の誘い
文句で、よく自宅に招いてもらい、酒屋ならではの
売るほどある酒を飲ませてもらっていました(^◇^;)
ある日、ジャージ姿の男の子が学校から帰ってきて
飲んだくれの私を哀れむような目(思い込み?)で
見ていたのが、当時高校生だった硫太でした。
それから15年。第1回のストーンハンマーフェスに
携わる中で再会を果たしました。
立派な酒屋に成長した彼は、かなりエッジが立って
いて、彼から飛び出すアイデアやユーモアは新しい
時代の幕開けを感じさせるものでした。
同年、西条YEGにも入会し、会報誌の新入会員紹介
のこの写真からも、大物の風格が漂っていました^^;
その後、副委員長、委員長と着実に成長し、
同級生が多い世代の星として活躍しました。
心に秘めた想いは強く、煮えたぎる情熱は熱く。
的を得た鋭い意見と、独特の発想で、西条YEGメン
バーからも一目置かれる個性を放つ塩ザキ硫太。
これまで私もそばで見ていて、硫太のオリジナリテ
ィを尊重はしても、否定したり、何かを押し付けた
事は一度もありませんでした。
君がこれまで歩んできた道は、間違いじゃない!
今夜の僕らは〜、道往く車の風を切ってく音と、
おっとっと(^◇^;)
これからは、より深く愛を持って行動し、信じ合え
る仲間を増やし、西条のためにその個性を活かして
真のリーダーになってほしい。
心からそう思っています。
新しい時代を、新しい西条を、よろしく哀愁!