カトーのオモロいブログ

カトちゃんです。本業は看板屋です。ありのままの自分をさらけ出したいと思います。

ハイティーン・ブギ

小6になり、それまで運動靴でサッカーしてた私が

初めてお年玉でサッカースパイクを買った。

 

家はあまり裕福では無かったので道具も自腹で買う

しかなかったので、貯めて貯めてようやくといった

感じだった。

 

お店はニュースポーツだったと思う。

 

スパイクはヤスダフリートⅠだったと思う。

 

プーマ、アディダス、アシックスなど高価なスパイ

クには当然手が届かず、安くて手頃かつ、合成皮革を

使用したヤスダ製品は正にサッカー少年たちの救世

主だった。

 

スタッドが付いたスパイクのグリップ力と球を蹴る

打感、ボールの飛びに度肝を抜かれた。

 

最高学年だからもちろんレギュラーでポジションは

左利きなので?左ハーフ(MF)。

 

当時の私のプレイスタイルは、縦横無尽に動き回り

ボールを持つ敵にひたすらアタックする。

 

華麗ではないが、特別足が早くもないし、テクニッ

クに長けてる訳ではなかったので、自分が生きる道

を探し続けた結果だったのかもしれない。

 

春に開催された宝文館杯(現在の魚民にあった本

屋)という大会に出場し、私の体重の倍はあろうか

という相手DFに突っ込んで行きボールを奪った事が

たぶん大会関係者の目に止まり「敢闘賞」という賞

と盾を当時のサッカー協会の会長(明比県議)から

いただいた。

 

それが私の唯一の少年サッカーでの勲章。

 

覚えた技は、切り返しとボレーシュートくらい?

 

少年サッカー界に薄い印象のみ残し卒団し、中学生

に上がると勿論迷わずサッカー部に入部した。

 

神拝サッカースクールの先輩たちもいて、「加藤、

待ちよったぞ」と温かい言葉をもらった。

 

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その先輩が1学年上の青木けんじ先輩(写真1番奥)

 

グランドは3年の先輩達が総体予選に向けて使用中の

ため、旧部室前などでミニゲームなどを1コ上の先輩

たちとさせてもらってた。

 

少しホーム感漂う中学サッカー部デビューだった。

 

つづく(^◇^;)

 

独りよがりの内容ですみません。

 

これ、しばらく続きそう(^◇^;)