時を遡ること35年前。
中学に入学し、当然の如くサッカー部に入部した。
当時西条北中には3㎞コースという産業道路を周回す
る名物コースがあり、1年生は「3㎞走ってこい!」
と言われ、毎日毎日走らされた。
あの西条北中サッカー部出身で後輩の長友佑都君の
無尽蔵なスタミナの基礎を作り上げたとされている
名物コースだ。
当時まわりのほとんどが「ボールを蹴りたいのに」
という不満を抱えながら走らされるので、当然適当
に流す者、途中で引き返しズルする者が続出する中
私は先頭を走る運動神経抜群のマジ組に我武者羅に
ついていった。
私はもともと短距離走が早い方ではなかったため、
長距離走で先頭集団を走れる時点でエクスタシーを
感じていたからだ。
おかげで1月に開催されたクラス対抗校内駅伝大会
では、1区に選出された。
個人順位とタイムが廊下に張り出されるという事で
陸上部はじめ各部のエースたちが花の?1区に集結し
スタート直後から先頭集団を形成した。
しかし1年間3㎞コースを真面目にこなしてた私は、
そのペースに全然ついていけた。
残り500mくらいで3人くらいに絞られた先頭集団に
私かいて、陸上部のやつが「ウソやろ?」みたいな
顔をして振り向き、沿道で応援するクラスのみんな
も思わぬ活躍に一瞬ざわついた。
結局、区間2位でゴール。
学年全体でも5位のタイムで「思わぬダークホースが
現れた」と、しばらく時の人となった。
2年になり、すっかり長距離に自信をつけた私は、そ
の後も手を抜かず3㎞コースを先頭で走り続けた。
2年のクラス対抗駅伝大会でも1区に選ばれ、今度は
区間賞を取り、クラス優勝の原動力となった。
タイムも学年2位となり、廊下に張り出された順位
を眺める同級生も「まあ順当やな」と納得するほど
「長距離=加藤」という認知度が広まっていた。
そして3年になり総体も終わり部活を引退した6月、
体育の授業で、駅伝部の選手選考会が行われた。
各部の寄せ集めによる駅伝部員をその選考会でタイ
ムの早い順に選び、11月開催の愛媛中学駅伝競走大
会に西条北中駅伝部として出場するためである。
選考会は1500m走だったが当時は5分フラットくらい
で走れていたため、当然選出されることに。
これが選手のほとんどが陸上部という駅伝部時代の
苦しくも思い出深い半年間の始まりだった。
またまたつづく(^◇^;)