カトーのオモロいブログ

カトちゃんです。本業は看板屋です。ありのままの自分をさらけ出したいと思います。

Life goes on

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ユンボに社名ステッカーを貼る。

 

もう20年以上前からこの仕事を頂いている。

 

 

昔から重機を扱う会社はほとんどが自前でカッティン

グマシンを持っていて、ネーム入れは自社で完結す

る。

 

重機メーカーからも支給でステッカーが送られてくる

し、看板屋が入る隙間の無い環境だった。

 

なのにわざわざ仕事を作ってくれる重機屋の先輩がい

た。

 

「おーい、加藤君、ユンボにステッカー貼ってくれー

今すぐ測りに来いよー」

 

これがあの人の決まり文句だった。

 

 

慌てて採寸に行くと、事務所に招き入れられ、ゴツい

手でインスタントコーヒーを入れてくれた。

 

「加藤君、手ぇ抜いとろが」

 

「死んだ魚みたいな目しとるぞ」

 

 

憶測か、悟りか、先輩はエスパーのようだった。

 

 

2001年から2002年くらいだったか。

 

まだ子供が小さかった頃、家庭の空気は重く、JCで夜

出ていこうとしては、嫁に小言を言われていた。

 

景気も悪く、営業の世代交代もまだ進んでなく、売上

も低いし、JCは忙しいし、家に帰ったら空気悪いし。

 

毎日出口の見えない暗闇のような感じだった。

 

 

そんな私をいつも叱咤激励してくれたのが先輩だっ

た。

 

 

 

 

「家庭も仕事もあんなんやし、来年こそはJCの役職断

ろう」

 

そう思っていても先輩は委員長に、副理事長に、私を

押し上げた。

 

その度、夜中に嫁と深刻な話し合い。

 

「将来必ず結果出すけん、付いてきてくれ」

 

なんて嫁を説得してたっけ。

 

 

先輩がJCの理事長をしてた2004年夏、

 

「加藤君、次年度理事長お前じゃ」

 

いつものように、そう言い捨てた。

 

「いや、なんぼなんでも、かなりキツイです」

 

そう固持するも、

 

「お前しかおらん、大丈夫やけんやれ」

 

何が大丈夫なのか当時は理解不能だったが、

 

先輩に言われると何か大丈夫な様な気がしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時から、マインド、流れ、時流が変わった。

 

 

 

今の私のリーダーシップは全て先輩のうけうり。

 

今の私が在るのは先輩のおかげ。

 

 

 

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白石さんが天国でこのブログを読んで笑っている気が

してならない。

 

 

昔を思い出してしまった。