カトーのオモロいブログ

カトちゃんです。本業は看板屋です。ありのままの自分をさらけ出したいと思います。

異業種を知る

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昨日はCHATH THE WAVE委員会に参加しました。

委員会を委員会メンバーの事業所で開催し、

その会社について知るという企画です。

第1回は一色委員長の会社、

西条市三津屋南4-45、一色カメラさんでした。

 

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なんとなくJRで行ってみました。

 

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アンパンマン列車でした。

何気に得した気分になるのはなぜ?

鉄道には思い出がいっぱい詰まってます。

 

私は小さい頃、父が看板屋で母もガッツリ作業を

手伝っていたため、ほとんど旅行に連れてって

もらった事がありませんでした。

だから鉄道への憧れがハンパなかったです。

 

北ノ丁の踏切で一日中汽車を眺めてました。

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ここです。

 

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特急しおかぜや、急行いよ、懐かしいです。

 

ただ年に1度だけ汽車に乗れるチャンスが訪れます。

母の実家は現在今治市の旧朝倉村です。

お盆前によく帰省してたのですが、

父が仕事が忙しく、しかも母が単車の免許しか

持ってなかったため、私だけ汽車で実家まで

連れていってもらってました。

10歳離れた兄は大学受験で忙しいし、

5歳離れた姉は部活で忙しい。

末っ子の私は当時一人っ子みたいでした。

 

もちろん鈍行です。

伊予西条から石鎚山、氷見、小松、玉之江、

そして旅路で一番大きな壬生川駅で見た風景

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この御代栄の看板が好きでした。

あと御国鶴や日本心の看板もあったよーな。

当時、日本酒のフタを集めるという奇特な趣味を

持ってた私はこの看板をガン見してました。

私のLOVE SAIJOな風景の一つです。

 

ここを過ぎると三芳、そして目的地の桜井。

桜井からは親戚が車で乗せてってくれてました。

上朝倉のばあちゃん家に行くのが楽しみで、

いとこと下の川で魚取ったりして遊んでました。

今となっては懐かしい思い出です。

 

そんな感傷に浸りながら壬生川駅を降り、

一色カメラまで歩いて10分くらいでしょうか。

道すがら、発見。

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世界のトクダ、第2副会長徳田正樹君の会社です。

屋根工事、リフォーム、太陽光発電システムで

快適環境を実現します。

 

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目的地である一色カメラに到着。

いつも店番しているお母さんは不在でした。。。

 

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彼は語る気満々です。

 

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一色委員長の仕事を始めたきっかけから仕事の

内容、これからの展望など熱く語られました。

 

違う業種の話を聞くとすごく勉強になります。

自社の強みをどう見出していくか、

プロダクトアウト、マーケットインの話など

深いい話が聞けました。

自社の経営について赤裸々に語り合い勉強し、

共有し合って仲間と共に大きな挑戦をする。

そんなYEGらしさが詰まった委員会でした。

 

CHATH THE WAVE委員会のテーマは

「知る、知る、知る」

今後も西条YEG全体を巻き込み、委員会メンバー

の事業所で、メンバーの事を知る活動をしていく

そうなので、他の委員会のメンバーもどんどん

オブザーバー参加してみて下さい。

 

もっともっとあなたを もっともっと知りたい

www.youtube.com

 

ありましたね、この曲、よく聞いてました。

 

そして、

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彼に会いに行きました。

髪型がイケてるナイスガイ、福ちゃんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県高P連問題

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昨日の新聞に県高P連が損害賠償を請求する

訴訟を起こしたとの記事が載ってました。

 

この問題の発端は、平成28年度に前会長と執行部

から唐突に会費の値上げを持ちかけられ、

会費を値上げする前に元事務局長の給与など

支出の見直しをしてからではないか、との声が

各PTA会長さんから多数上がり、昨年6月、

愛媛県高等学校PTA連合会の定期総会が開催され、

当時の会長始め執行部の運営や会計処理に関して

不透明な点が多いため、改善するよう求める声が

多数の会長さんや、校長先生で組織される校長会

から上がったにも関わらず、明確な回答をせず、

総会を一方的に流会にした事から始まりました。

 

その後も前会長からの納得いく回答がなかった為

40校を超えるPTAの連名で、早急に臨時総会を開催

する事を求めつつ、4月にすでに納めた

県高P連会費の返還請求をしました。

 

そして、9月に開催された臨時総会において、

会長選挙が行われ、大差で沖新会長が選任され、

新しい執行部により透明性の高い運営を目指して

動き出しました。

沖会長はYEGの先輩です。

頑張っていただきたいですし、必ずや、クリーンな

高P連運営を実現してくれる事でしょう。

 

そもそも愛媛県高等学校PTA連合会の会費は、

私たち、子供が高校に通う各家庭が支払う

各学校のPTA会費により賄われています。

そして、高P連には東中南予の連絡協議会、

理事会、総会と審議決定意思決定の場があります。

そこには各単P会長が出向しています。

当たり前且つ普通の事だと思います。

東中南予から上がってきた意見を、

東中南予の代表と校長会の代表と執行部で組織

された理事会で審議され、

総会で審議了承されます。

当たり前の事です。

 

ただ、新聞に書かれている通り、

理事会、総会の了承を得ず

前会長が退職金の支出を決定したり、

元事務局長が高P連の通帳から500万円を超える

使途不明金を引き出したり。

 

誰のお金だと思ってるんだ、って感じです。

高校生の子を持つ皆さん、皆さんから集めた

大切なPTA会費の中から支払われたお金ですよ。

 

組織には人が入れ替わってもしっかりした運営が

できるよう、会則があり、決定機関があります。

こと、お金の支出については会則に定められた

意思決定機関による厳格なチェックが必要だと

思います。

 

YEGでも同じです。予算の支出には

しっかりとしたチェックの目が必要です。

 

私は、我々の為に立ち上がってくれた沖会長を

YEGの先輩として、またPTA会員として、

心から応援し、支援します。

 

さて、4月29日(日)は産業文化フェスティバル、

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今年も市民綱引大会が開催され、

西条YEGも参戦します。

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徳田副会長の美しいフォームは今年も健在か。

 

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ただ、無駄のないお手本のフォームはこちらです。

 

楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

そうだ、PTA役員になろう

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昨日は西高PTA役員会でした。

5月からスタートする次年度の

新理事と新役員を決める会です。

 

西高の理事は基本的に各地区毎の選挙の

得票が多い順に選ばれます。

このスタイルだと、選ばれた時点でモチベーションが高いので諸会議の出席率が上がるというメリットがあります。

 

ただ、今年副会長以上の役員が2人抜けるため、

理事の中から2人の役員を選ばれなければ

いけません。

昨日はその重苦しい会でした。

 

高校は3年間しかなく、世代交代のピッチも早く、

しかも広くいろんな地域から集まってるので

対象者の情報も少なく、役員を受けてくれる人を

探すのに苦労します。

 

PTAは出事が多いとか面倒だという理由で

敬遠される方が多いですし、PTAの存在意義自体に疑問を抱かれている保護者さんもいます。

しかし、PTAの役員をしていると、子供には

間違いなくメリットがあります。

先生方との距離も近づきますし、多くの先生に名前も覚えてもらえます。

 

先生方は普段は生徒と向き合ってますが、

生徒の背景にはそれぞれの家庭があり、

各家庭で教育方針や家庭環境が違います。

受け止め方が各保護者それぞれ違う中で、

学校の方針を定め、

学校運営をしていかなければなりません。

何かを変えれば必ずどこかから批判が出ますし、

何かを決めればどこかでは不満がくすぶります。

先生方の立場を守り、学校の方針に寄り添いつつ、

保護者の側にも立って時には不満を受け止め、

より良い方向に進めるのがPTA役員の役目だと

思ってます。

 

小学校の会長をしてた時、とあるPTAの先輩に、

「PTAが校長先生の意に反する行動をとったり

PTA会長やけん偉いと勘違いして、先生方に対して偉そうな態度をとるのはいかんぞ。先生方の意見に寄り添って協力する姿勢を持たないかん」

と言われました。

 

その時は私もまだ若く、血気盛んで、

その話にもピンとこず、

PTAの組織やムードを重視するあまり、

多少校長先生や教頭先生に物申したりしてました。

 

ただ、PTA最終年度を迎える今となっては、

先輩の話が合ってる気がしてます。

 

よりよい学校運営は先生と保護者と生徒、

みんなで創り上げるものだと思います。

 

皆さん、その一翼を担うPTA役員になりませんか?

お願いの電話があったら返事は0.2秒、

ハイよろこんでの精神でお願いします(^^)

 

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重苦しい雰囲気でしかも持ち帰り議題もあったので懇親会はなく、その後だったからなのか、

遅れて参加したSTONE HAMMER fes広報部会が

かなりライトで自由に感じました^^;

 

 

 

 

 

 

巧な人

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昨日は整体の日、カイロサロン巧に行きました。

 

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よく見ると入り口にあのステッカーが。
LOVE SAIJOの輪が広がりつつあります。

 

施術してくれる三島巧士君は、

昭和52年生まれ、ブルジョワ会の中心人物です。

 

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西条YEGでは副運営専務として、

夜の懇親会の段取りやムードメーカー役として

活躍してくれてます。

 

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学生時代は西農野球部4番として
元ヤクルトの藤井からライトフェンス直撃の
ツーベースを打った伝説の持ち主です。

 

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この伝説に関しては、

同級生の彼が喉を掘ったように語ってくれます。

 

その恵まれた体格とパワーで日々の疲れから生じる身体の歪みを矯正してくれます。

 

施術中はYEGの話や家族の話、飲みに行った話など

時間を忘れるほど話し込みます。

飲食店のお客さんも多く、顔が広いので

いろいろ相談に乗ってもらって頼りになります。

 

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彼の周りには自然と人が集まります。

 

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男女関係なく好かれます。

 

これからも西条YEGを明るく照らす

太陽のような存在でいて下さい。

 

太陽つながりで、

先日行ったとあるゴルフコンペでの出来事。

ショートホールから何やら黄色い声援が。。。

よく見ると、

 

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最近あまりお目にかかれないゴルフコンペの

太陽のKomachi Angel、ニアピンギャル発見。

 

ワンオンしたらニアピンギャルからの

黄色い称賛の声と豪華景品を貰えますが、

お母さんがなんと私と同い年と言う、

ニアピンギャルの若さに驚愕。。。

やや乱れてYo! Say, yeah, yeah!

www.youtube.com

ややどころか思い切り乱れて左にOB⤵︎

 

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クラブラタンより朝早くからご苦労様でした。

やはり相変わらず若い子は苦手です。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロックな人々

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昨日はエナジー安田にてSTONE HAMMER fesの

アーティスト部会に参加しました。

今年で第5回目となる西条市民手作りのフェスで

今年も7月29日(日)に西条市ひうち運動公園

レクリエーション広場で開催されます。

 

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現在、タイムテーブルなどを決めるアーティスト部会と、美味しいフェス飯を提供する地元飲食店を募集する出店部会、メディア対応や告知を行う広報部会などが忙しい合間を縫って活動しています。

 

STONE HAMMER fesは

西条YEGの事業ではありません。

 

主催はSTONE HAMMER実行委員会で

安田実行委員長と夢と志を共有する

音楽好きと西条が好きな有志の集まりです。

 

ただ、安田さんが音楽フェスを西条で

開催しようと思ったキッカケは

YEGに入ってたからだそうです。

 

平成24年愛媛県大会八幡浜大会の時、

YEGバンドを組むという企画があり、

音楽に心得があるメンバーを各単会2名輩出する

事になり、当時の会長のこのお方、

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同級生の第31代会長村上陽一郎君が

誰かから「安田さん音楽出来るらしいよ」と聞きつけ、「安田さん音楽出来るらしいですね?八幡浜県大会の時にYEGバンドに西条代表で入ってもらえませんか?」と依頼したそうです。わりあい彼は大物です。

 

蕎麦屋の甲慎君と二人で八幡浜に練習に行き

そこで愛媛県連の仲間と仲良くなり、

YEGの楽しさと、音楽をもう一度やろうと思った

きっかけになったそうです。

 

そして、地元西条で「西条の人たちに良い音楽を聞いてもらい、この地に音楽文化を育みたい」と

2年後に第1回STONE HAMMER fesを開催しました。

 

STONE HAMMER実行委員会は音楽を通じて西条が一つになる事を目的に頑張ってます。

また、立場は違えどそれぞれの団体でボランティア、まちづくりなど、西条を想って活動している方々もたくさんいます。

 

西条YEGも広い視野と西条YEGらしいアプローチで

西条を愛し、西条を想って行動します。

 

西条YEGメンバーもYEG以外でも、自治会やPTA、

ライオンズクラブ法人会青年部など

様々な団体で活躍しています。

YEGで経験して得た事を出し惜しむ事なく

西条のために頑張るメンバーを誇りに思います。

 

LOVE SAIJOという大きな旗印のもと、

みんなの心が一つになれば、

西条が市外、県外、全国で、世界から見ても

魅力的なまちになる。

 

そう信じてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶の迷路

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2018年度の会員手帳が出来ました。

 

この手帳のデザインはHAWK graphicsの藤原君、

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ブルジョワネーム「ふっさん」。

広報誌や名刺、いつも西条YEGに

デザインという付加価値をプラスしてくれてます。

感謝です。

 

今年度は、少ししっかりしたブルー。

水の都西条のイメージでブルーにしようと。

ただ、前年度の花山会長の時がスカイブルー、

その前の稲見会長の時が濃紺的なブルー、

という事で「その中間でお願いします、

イメージはイナミブルー」で、とリクエスト。

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正にイメージ通り、藤原君ありがとね。

 

この色、他に何かを思い出します。

何だろう?

目が一つで丸い盾持った。。。

 

あっ、

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これや。

 

私が初めて作ったガンプラ「ギャン」。

当時西条小でクラブ活動の時間があり、

私は工作クラブに所属していました。

ガンプラなどのプラモデルを買ってきて

大っぴらに作れる夢のようなクラブでした。

 

クラブ活動で必要だから、と大義名分を付け

親にもらったまだ流通してた五百円札を握りしめ、

駅前にあった山口文化に走りました。

 

なぜギャンなのか?

ガンダムだと他の誰かとカブりそうだし、

量産型ザクやドムなどは安価な1/144スケールは

売り切れてて、デカくて高いやつしかない。

そこで1/144の中で少し格好良くてマイナーな

ギャンを選んだ記憶があります。

 

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これで引っ付けてました。

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うすめ液、懐かしです。

 

当時は山口文化のショーウィンドウに

自作のガンプラを飾ってもらうのが

一種のステータスでした。

しかし、かなり上級者でないと

飾らせてくれませんでした。

 一度、ドムをボロボロな塗装で持っていって

「戦いで傷だらけになったドムです」

とアピールしたのですが門前払いをくらいました。

 

ガンプラ以外にもクルーザーやお城シリーズ、

ラジコンなどが棚に無造作に積み上げられ

少年たちの憩いの場でした。

 

西条にまた、あんなプラモ屋が復活してくれたら。

今だったら1/72のシャアザクを買うのに。。。

 

あっ、

アッガイも♡

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ぷらんたんの皮算用

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通勤の途中にこの景色が目に入ります。

手前に見える倉庫の向こう側に

昔「ぷらんたん」というレストランがありました。

レストランというよりは洋食屋さんかな?

今も建物は残ってます。

 

たぶん小学校低学年のとき、

ごくたまに連れて行ってもらったのを

今でも鮮明に覚えています。

 

父が看板屋をしていて、当時は年に数回、

忙しい時は家族総出で手伝ってました。

私は役に立たないのでゴミ拾いとか。

テレビを見たいのを我慢して。

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再放送の帰ってきたウルトラマンに夢中にでした。

 

何が私のヤル気を駆り立てるのか。

その後外食に連れてってもらうためです。

年に数回、よいよの忙しくて家族総出で

お手伝いをした時だけチャンスが訪れます。

 

外食は本当にその時だけです。

クリスマスでも水炊きという

アウトローな家庭でした。

 

たいがい「よし、レストラン行くか」と父が言い、

ナポリが閉店してたかしてなかったかの時期なので

レストランと言えば「ぷらんたん」でした。

 

わーい、心が弾みます。

ハンバーグやらエビフライやらスパゲティやら

子供心を鷲掴みにする料理の数々。

私の目にはその料理がキラキラ輝いて見えました。

 

OLでしょうか。制服姿のお姉さん方もいて、

料理を堪能してました。(今何歳くらいだろう)

 

楽しかった記憶は何年経っても色褪せず、

西条を愛する動機となります。

 

目的は美味しい料理だったのか、

OLのお姉さんだったのか。

 

その辺はご想像にお任せします。