カトーのオモロいブログ

カトちゃんです。本業は看板屋です。ありのままの自分をさらけ出したいと思います。

TOY BOY

中学を卒業し、西条高校に入学し、またまた当然の

如くサッカー部に入部した。

 

西条高校のグランドは野球部とソフト部が使用する

ため、サッカー部はひうち陸上競技場まで行き、上

級生が球を蹴ってる間、1年生はグランドの外周や芝

の観客席をぐるぐる周るサーキットトレーニングを

ひたすらさせられていた。

 

同じ1年に東中のエース片山も入部しており、彼を

先頭に割とハイペースだった記憶がある。

 

3学期になり、体育の授業がいきなりお堀を周回する

長距離走になった。

 

何故に?と思っていたら、校内マラソン大会なるも

のがあるのだと体育の栗林先生から聞かされた。

 

ひうちの港湾から西条高校まで帰る男子8㎞、女子5

㎞のロングランコースを1年2年が一斉に走るという

Sっ気たっぷりな設え。

 

先頭集団に立ってまたあの苦しさを味わいたくない

そんな弱気しかなく、そこそこのペースで流して走

る事に決めてた私は結局42位でゴール。

 

しかしマジで真面目なエース片山が先頭にくらいつ

き5位でフィニッシュしていたのを聞いて、真剣に行

かなかった自分を少し恥じた。

 

2年になり再び3学期、マラソン大会か近づいてきて

「今年で最後やし、どれくらいまで行けるかやって

みよかな?」と思い、授業の練習にも熱を入れた。

 

そして校内マラソン本番、1年の時とは違いスタート

前、先頭の列に並んだ。

 

号砲が鳴り、1㎞過ぎで先頭集団は8人ほどに。

 

例年先頭は「トップ取って来い!」とハッパをかけ

られた野球部か陸上部の連中、そして片山。

 

3㎞過ぎたあたりで野球部のやつが急に抜け出した。

 

それまでもまずまずのハイペースだったにも関わら

ず一段とギアを上げてきた彼のペースに全然ついて

行けなかった。

 

単車で先導していた陸上部の顧問青野先生にも、

「今離されたら追いつけんぞ」などと焚きつけられ

「陸上部のやつに言えや!先頭集団に1人もおらんや

んけ!」と心の中で思ったのだが、結局離され、

あの片山もある程度くらいついたが離されていた。

 

エース片山を置き去りにするあの野球部の奴誰や?

 

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そいつが同級生で当時西条高校4番、後に亜細亜大学

NTT東日本阪神タイガース楽天イーグルス

プロ野球選手にまで昇り詰めた沖原佳典だった。

 

後から思えば、そりゃ勝てんわな、とおもた。

 

結局、沖原が1位、片山が2位で私は5位でゴール。

 

8位までが体育館で行われる表彰式で前でメダルをか

けられ、クラスでは入賞は私だけだったので、また

一瞬、ヒーロー になった。

 

それが私の紆余曲折あった長距離の最後となった。

 

高校卒業後、専門学校に2年行き、帰ってきて家業に

就き、同じく家業に就いてたサッカー部の同級生の

伊藤貴司に、先輩が作った社会人サッカーチームに

誘われた。

 

が、部活ではないので当然、走り込みとかは無く、

練習と言えばミニゲームのみ。

 

長距離を走る事も、あの時の記憶もすっかり忘れて

しまっていた。

 

それから20数年が経ち、あれから20キロ以上太って

しまったこの身体でまた長距離を走らざるを得ない

きっかけとなった出来事が訪れた。

 

「おう、やったるげや」。。。

 

またまたつづく(^◇^;)

フレンズ

6月の終わりくらいに西条北中駅伝部が結成された。

 

メンバーはやはりほとんど陸上部、あとはサッカー

部3名、テニス部2名とアウェイ感半端なかったが、

唯一、駅伝部監督がサッカー部の顧問のギャル男

(藤田先生)だった事だけが救いだった。

 

練習はまず3㎞コースを走らされた後、グランドをひ

たすら周るインターバル走がすこぶるキツかった。

 

部活を引退してから何でこんなしんどい事せないか

んのん?と、放課後になると憂鬱になっていたが、

それでも「陸上部の奴らには負けたくない」という

反骨精神と、片想いの君、石橋さんが生徒会から

マネージャーとして派遣されていたので「いいとこ

見せたい」という下心が私の足を突き動かした。

 

夏休みに入っても毎日練習が続き、愛媛県学駅

競走大会に向けた選手7名を絞ろうとしていた最中の

ひうちの岸壁で行われた3㎞タイムトライアルで、

やけに調子いいなと思っていたら、北中前人未踏の

9分台を出してしまった。

 

9分台と言えば、当時の常勝軍団、東中のエース片山

(こいつもサッカー部)に肩を並べるタイムという

事で、ギャル男はもとより、陸上部の顧問たちも遽

にざわついていた。

 

てな訳で先生の信望を得た私は駅伝部の主将に選ば

れてしまった。

 

先生たちに期待をかけられプレッシャーでしかなか

ったが、3年連続学級委員長という俺が俺がのリーダ

ーシップが顔をのぞかせ、臆せず先頭に立って駅伝

部を引っ張った。

 

そして選手が決定し私は最長区間5㎞を走る1区に

選ばれた。

 

加藤、井上(サッカー部)

山地、相良、松本、澤田、2年の西原(陸上部)

の7名で砥部の県陸上競技場で開催される愛媛県中学

駅伝大会に臨んだ。

 

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スタート前、ユニフォームを着たいかにも速げな他

中学の選手を見て、尋常でないプレッシャーに押し

潰されそうだったが、その先で待つ仲間に何として

も繋ぐんだという使命感と1人じゃないという安心感

で何か勇気をもらえた。

 

結局区間順位は30位くらいだったが、後続の頑張り

で西条北中は24位でフィニッシュした。

 

その後1月に開催された市内駅伝競走大会でも1区、

こちらは1区間3㎞だったので、あまり気負う事なく

走れて駅伝部最後の大会を区間賞でフィニッシュ。

 

2区の選手にたすきを渡す瞬間、暑い中のグランドに

倒れこんだ事や、冬の商店街で仲間と一緒に走り込

みした事など、いろんな想いが走馬灯の如く駆け巡

り、思わず涙が溢れ出ていた。

 

これでもう俺の長距離は終わった。

 

「あのプレッシャー地獄に再び足を踏み入れる事は

ないだろう」当時はそう思っていた

 

その後西条高校に入学し、めっぽう距離の長い校内

ラソン大会がある事に気付いたが、勿論その時に

は、真剣に走る勇気のカケラも残っていなかった。

 

またまたつづく(^◇^;)

Teenage Walk

時を遡ること35年前。

 

中学に入学し、当然の如くサッカー部に入部した。

 

当時西条北中には3㎞コースという産業道路を周回す

る名物コースがあり、1年生は「3㎞走ってこい!」

と言われ、毎日毎日走らされた。

 

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あの西条北中サッカー部出身で後輩の長友佑都君の

無尽蔵なスタミナの基礎を作り上げたとされている

名物コースだ。

 

当時まわりのほとんどが「ボールを蹴りたいのに」

という不満を抱えながら走らされるので、当然適当

に流す者、途中で引き返しズルする者が続出する中

私は先頭を走る運動神経抜群のマジ組に我武者羅に

ついていった。

 

私はもともと短距離走が早い方ではなかったため、

長距離走で先頭集団を走れる時点でエクスタシーを

感じていたからだ。

 

おかげで1月に開催されたクラス対抗校内駅伝大会

では、1区に選出された。

 

個人順位とタイムが廊下に張り出されるという事で

陸上部はじめ各部のエースたちが花の?1区に集結し

スタート直後から先頭集団を形成した。

 

しかし1年間3㎞コースを真面目にこなしてた私は、

そのペースに全然ついていけた。

 

残り500mくらいで3人くらいに絞られた先頭集団に

私かいて、陸上部のやつが「ウソやろ?」みたいな

顔をして振り向き、沿道で応援するクラスのみんな

も思わぬ活躍に一瞬ざわついた。

 

結局、区間2位でゴール。

 

学年全体でも5位のタイムで「思わぬダークホースが

現れた」と、しばらく時の人となった。

 

2年になり、すっかり長距離に自信をつけた私は、そ

の後も手を抜かず3㎞コースを先頭で走り続けた。

 

2年のクラス対抗駅伝大会でも1区に選ばれ、今度は

区間賞を取り、クラス優勝の原動力となった。

 

タイムも学年2位となり、廊下に張り出された順位

を眺める同級生も「まあ順当やな」と納得するほど

「長距離=加藤」という認知度が広まっていた。

 

そして3年になり総体も終わり部活を引退した6月、

体育の授業で、駅伝部の選手選考会が行われた。

 

各部の寄せ集めによる駅伝部員をその選考会でタイ

ムの早い順に選び、11月開催の愛媛中学駅伝競走大

会に西条北中駅伝部として出場するためである。

 

選考会は1500m走だったが当時は5分フラットくらい

で走れていたため、当然選出されることに。

 

これが選手のほとんどが陸上部という駅伝部時代の

苦しくも思い出深い半年間の始まりだった。

 

またまたつづく(^◇^;)

じれったい

今日は正月休みの日曜日。

 

そう言やこの正月どこにも出かけてない事に気付き

 

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昼過ぎから嫁と今治のヒマラヤゴルフに行き、

他愛のない買い物をする。

 

夕方帰宅し、まだ前回走った時の足の張りが治らな

いまま、足取り重く2度目の10㎞ラン。

 

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あれからフルマラソンに向けての準備、みたいなブ

ログをいろいろ読んで、ゼリーがいい、アメやチョ

コなど栄養補給が必要、などと書いてたので、とり

あえずゼリー飲料とブラックサンダーを購入。

 

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今回は少しコースを変えて、ローソンから古川に向

けて西進、古川橋から禎瑞を氷見に向けて進み、信

号を折り返し、農免道路を東に進み、水都橋を渡っ

て自宅までのコースに。

 

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今回は前半突っ込みすぎた前回の反省を生かし6分ペ

ースに自重、体に負担がないペースで進む。

 

3㎞地点でゼリーを3分の1ほど口に入れる。

 

これが割合元気が出る。

 

元気が出過ぎて徐々にハイペースに。

 

5㎞地点でブラックサンダーを頬張る。

 

「オッ!」

 

「クッキー成分が口に絡まって呼吸が苦しい!」

 

慌ててゼリーをもう3分の1補給し喉を潤す。

 

おかげで少しペースダウン。

 

呼吸を整えるのに2㎞を費やした。

 

7㎞地点で残りのゼリーを補給しようやく落ち着く。

 

しかしやはり今回もラスト1㎞で肺にも足にもキタ。

 

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結局1回目と変わらない、10㎞しか持たないランに。

 

ラスト、苦しくなればなるほど「不甲斐ない」と

リトル加藤が囁き、ペースを上げてしまう。

 

そのルーツ(と呼べる大層な話ではないが)は中学

生時代に遡る。

 

つづく(^◇^;)

ヘッドライト・テールライト

各地でUターンラッシュが始まった今日、

 

子供たち2人ともそれぞれの場所に帰っていった。

 

正月休みでなんとなく確認し合った家族の絆。

 

また離ればなれになっても、

 

指標となる帰るべき場所を照らし続けたい。

 

頑張れよ!

 

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行く先を照らすのは

まだ咲かぬ見果てぬ夢

遥か後ろを照らすのは

あどけない夢

PRIDE

令和2年お初の夜の幸町レポートです。

 

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スナックカリカリ。

 

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普段はこのおいやんとか、

 

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このおいやんの巣です。

 

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とても気がつく苦労人のママ。

 

5年前に大学生になる娘の学費を稼ぐため、この店を

始められたそうです。

 

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おかげで素直で良い娘さんに育ちました。

 

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ママさんの人柄なのか、客層がすこぶる良く、西条

の名だたる名士たちがこぞって通い詰めます。

 

驚いたのは、何よりママさんの気遣い。

 

全てのお客さんに気配りを忘れず、気持ち良い気分で

帰してくれる、接客業の鏡、というか人として尊敬

できます。

 

今宵は気のおけない仲間といい酒が飲めそうです^_^

 

加藤&庄野でボトルを入れておきましたので、お気軽

に飲み干しておいてください(^◇^;)

負けないで

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2日の夜は「とんねるずのスポーツ王は俺だ!」。

 

我が家のマスト。

 

相変わらずオモロくて家族全員で笑い転げてます^_^

 

スポーツと言えばマラソン

 

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2月16日の高知龍馬マラソンに出場すべく、本日から

走り始めました。

 

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コースは水都橋を渡って農免道路を西進して折り返

すコース。

 

龍馬マラソンが海沿いの直線が多そうなので、メン

タルを鍛えるためこのコースにしました。

 

高知龍馬マラソンが初マラソンにつき、目標はまず

もって完走。あわよくば5時間切り。

 

1㎞7分で達成できる。

 

てな訳で今回の練習ランは1㎞6分ペースを目指して

スタートしました。

 

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スマホから聞こえた最初の1㎞のラップが5分33秒。

 

「アカン。突っ込みすぎた」

 

その後徐々に6分ペースに戻す。

 

カントリーエレベーター前からは約2.5㎞の道なり、

 

いつまで経っても同じ景色にメンタルやられます。

 

やはり序盤の突っ込みすぎが原因で6㎞過ぎから肺に

キタ。

 

足は動くが、私の中のリトル加藤が「やめとけ!」

と叫ぶ。

 

7〜8㎞の水都橋の中腹まで延々と登り。

 

箱根で例えると権太坂

 

登り坂の方が安定したペースが刻める。

 

だが、前半の飛ばしすぎが効いてきて苦しい。

 

苦しみながらもそのまま惰性でゴール。

 

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ただこのペースでは10㎞が限界。

 

目指すは42.195㎞。

 

次回のランは5日。

 

1㎞6分30秒ペースに下方修正してみよう(^◇^;)